父は1度目の脳卒中で左半身麻痺。薬を買うお金をパチンコにつぎこみ飲んでいるふりをする生活してたら2度目の脳梗塞で全身麻痺。しゃべることもできなくなった。母1人で介護していた。最初に「手伝って」と助けを呼ばれたとき私は動かなかった。「冷たいね-!」と罵声を言われても動かなかった。最初に手を貸したら最期、介護し続ける人生になるとわかっていたから無視した。夜には大声で唸り耳を塞いでも聞こえるので空港や空母で見かけるイヤーマフを買って装着して寝た。 その後も何度か緊急搬送で病院に担ぎ込まれあばら骨が折れるほどに心臓マッサージをするようなこともあった。医者にとっては他の病気を作ろうが生き残らせることが最優先だから。そんな父も3年前に他界し最初の脳卒中から30年以上も介護し続けた母も先月他界。死後に母がいつ書いたのか人生録が出てきた。 結婚理由:「この人となら共に白髪になるまで一緒にいたいと思った」 介護に関して:母は自分の母を目標にしていたようで祖母の「あるじは寝てても居てくれた方が主」という言葉を支えにしていた。狭い部屋で父を独り占めできる、とも。 父を失ったことが相当こたえていたらしいことが人生録から感じられた。今思い返せば父の通夜に聞こえた母の声や火葬場での項垂れた母の背中の意味はそういうことだったのだとこの時知った。